F

2016/05/03

「掃除やりたくない」と「学級長やりたくない」は別物だということを指導者はなぜ理解できないのかそれは

指導者のアタマがアタマだからだと思う。

掃除やりたくない、学校行きたくない、勉強したくないはどれも「面倒くさい」からやりたくないと思うのであって、自分自身の中で完結する課題です。
そして、それをしないことで「周りや自分に迷惑がかかる」から大体の場合、結局やるハメになります。
皆さんも思い当たるフシがあると思います。

一方で、学級長(アニメ的には委員長)やりたくないや、何かの発表を任されたくないといったものには、別の理由があります。
それは、「自分がやることで周りに迷惑がかかる」から、というものです。
どちらも同じ「やりたくない」ですが、前者とは全く逆の理由なのです。

後者については、それをすることで「周りに迷惑がかかる」から、より適任な者に任せるほうが良いはずなのに、指導者はそれを理解しません。
平等に貧乏くじを引かせようとします。もはや集団を対象としたいじめです。




学校は小さな社会。
もういっそのこと、この国の代表も毎日くじ引きで決めたらどうでしょうか。




掃除などの誰もがすべきことは全員が、
能力を要求されたり責任を伴うものは、リーダー気質のある者や能力のある者が、
行ったほうがきっと良いと思います。

もう一度言いますが、なにも「面倒だから」という理由だけで私達が学級長をやりたくないわけではありません。
「出来ない」からやりたくないだけです。「出来ない」者に任せて本当に良いんですか?
よく考えなさい。(労働適正のある者だけが働けばいいと思う)

0 件のコメント:

コメントを投稿